『モアナと伝説の海』感想・評判 / 映画のテーマ「本当の自分を生きる」は今の時代だからこそ突き刺さる

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『モアナと伝説の海』により新たなディズニープリンセスが誕生

 

2017年3月10日に日本公開された
ディズニー映画『モアナと伝説の海』
公開初日に鑑賞をしてまいりました。

 


The Art of Moana (Disney Pixar)
 

以下、ネタバレを含んだ感想となります。

 

映画のテーマとひとつとなっている
「本当の自分を生きる」

 

このメッセージがどのような部分に込められていたのか?についても
考えてみました。

 

 

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感動的な映像の美しさに注目

 

内容や音楽はもちろんなのですが、
特に今回は映像にかなり期待をしておりました。

 

期待以上に素晴らしい!の一言です。

 

水の表現や光の表現が本当に美しく、
タラおばあちゃんの化身となったエイが登場するシーンなどは、
物語の中でも、モアナの成長に大きく関わってくる重要な部分である為、
非常に美しく描かれておりました。

 

 

ロマンス無しの新しいプリンセス像


 

近年公開されるディズニー映画は
主人公が”女の子”であっても、
最後には王子様と結ばれてハッピーエンド、
という図式の物語ではなくなっていますよね。

 

『ズートピア』にしても、『アナと雪の女王』にしても、
ロマンスよりは、”少女の成長”に焦点を当てた物語が続いています。

 

”恋愛”の意味の「愛」ではなく、
もっと大きな、広い意味での【愛】がテーマになっています。

 

『モアナと伝説の海』も、ヒロインであるモアナの成長、
そして村の人々、生き物全て(神様も含めて!)に対する
愛にあふれた作品でした。

 

モアナの葛藤、海への憧れ、
そして最後には自分の心に従い決意した心情などを
歌い上げた『How Far I’ll Go 』は、
物語の中で歌詞や曲調を変えて
何度も同じメロディーで登場します。

 

 



 

物語の中でのモアナの気持ちの変化が
その都度この歌詞へ表されていて、
非常に印象的でした。

 

 

※以下ネタバレあり 誰も悪役ではない、誰も殺さない、登場人物皆が本当の自分を閉じ込めている


 

村長の娘であるモアナが
”(村を出ずに)ここで村を守っていく”
という長としての責任と、
海に心惹かれ、海へ出たいという心の葛藤に悩む姿から
冒頭のシーンは始まっていきます。

 

村長である父・トゥイもかつては海へ憧れ、
海を目指したことがあるにも関わらず、
その時に親友を失ってしまった悲しみから、
大切なものを守るために危険な海(珊瑚礁の外側)へ出ることを
全ての村の人々へ禁じ、本来の気持ちを隠しています。

 

なぜ、人々は海に惹かれるのか。

 

人々はかつては大きな海を自由に旅し、
島をわたりながら生きていたのです。

 

生命を生み出し、島や人々を生み出したという
伝説の女神テ・フィティが「心」を奪われる前の
平和な海の時代までは。

 

それを知ったモアナは、テ・フィティへ「心」を返し、
平和な海を取り戻そうと決意します。

 

大切な村の人々を救う為。
海はモアナが幼い時に、「心」を返す者として
モアナを選んでいました。

 

ここからモアナの「本当の自分を見つける」冒険が始まります。
異質なのがモアナの祖母・タラおばあちゃん。

 

自分を隠して生きている人々の中で、
彼女だけは本当の自分を生きている存在として描かれています。

 

 

( 出典: ©Disney

 

 

自由で、心のままに生きている。
かつての、本来の人々の生き方を知っている。

 

そして、モアナの背中を押し、迷うときには助言し、
いつも見守り道標となっていました。

 

 

テ・フィティから「心」を奪った半神半人のマウイも
”母親に捨てられた”という過去を持っています。

 

 

( 出典: ©Disney

 

自分を認めてもらいたい、愛されたいという心から
人々へ何でも与えてきました。

 

そして、人々のヒーローとなれると信じて
テ・フィティから「心」を奪ってしまったのでした。

 

神から与えられた、姿を変えられる「釣り針」さえあれば
マウイでいられる。これが無ければマウイではないと思っています。

 

旅の途中で「心」を狙って襲ってきた海賊カカモラも
硬いココナツの姿をし、本当の姿は見えません。

 

マウイの釣り針を奪い持っていた、カニのタマトアも
光り輝くものに身を包み、飾りたてて本当の姿は見えません。

 

物語のテーマは「本来の自分を見つける」である中、
その旅の途中で登場する敵達は、皆本来の自分を隠している者ばかりです。


 


そして、最後の敵であるテ・カァ。
溶岩の身体を持ち、近づいてくるものを攻撃してきます。

 

やっとテ・フィティへ「心」を返せる、というその時に、
テ・カァこそが「心」を失ってしまったテ・フィティであったことに
モアナは気がつきます。

 

女神である本来の姿を忘れ、溶岩で身体を包み、
自分をなくしてしまったテ・フィティが最後の敵だったのです。

 

「心」を取り戻したテ・フィティは美しい女神の姿へ戻り、
かつての平和な海が戻ります。

 

テ・カァとの戦いで釣り針を失ってしまったマウイは
モアナとの出会い、戦いを通して自分への自信を取り戻します。

 

釣り針が無くても、自分はマウイだとモアナへ告げます。
エンディングでは最高に美しい海、自然の映像が繰り広げられ、
本来の自分のあるべき姿を取り戻した(思い出した)人々が、
再び海へ旅に出るシーンで締めくくられます。

 

もちろん、村の長としてモアナが船の舵をとり、
テ・フィティから再び釣り針を与えられたマウイは
モアナの傍らで鷲の姿となりで笑顔で羽ばたいています。

 

皆が本当の自分を取り戻し、
「あーよかったな!」と最高に後味良く
映画を観終えることができました。

 

悪役である敵を誰も倒さない。
悪役であるキャラクター達も、悪役とは言い切れない者ばかり。

 

壮大な冒険ファンタジーの中に込められた、
シンプルなメッセージ

 

『本当の自分を生きる』

 

最後はディズニーらしくハッピーエンド。
家族や大切な人と何度でも観にいきたくなってしまうような
非常に素晴らしい映画でした。

 

 

 

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